その落語家、住所不定。を読んで

作者は立川こしら落語立川流の真打である。新聞記事での紹介と、タンスはアマゾン、家のない生き方というタイトルに「なんだ、この人」と思い興味がわき読み始めました。

 家はもたない。タンスはアマゾン?使い捨てでゴミ問題はどうするのか。資源ごみをリサイクルに持ち込む私、家でくつろぐことの好きな私にとっても、まさに信じがたい価値観の持ち主です。「どこかに行きたい、誰かに会いたい、何かを食べたい。何でもいいのだ。わずかでも湧き上がる衝動があれば、それこそが道標になるのだから、素直に従えばいい。文明に圧迫されている今だからこそ、わずかに残る本能を掘り起こさなくてはいけない。それもこれも、家を持たないからこそ選択肢が広がるのだ。」行く先々で人々と出会い、触れ合い心を通わせ、人と人との繋がりの大切さを感じて旅を続けています。変わった価値観を持ちながら、なぜ人に受け入れられるのか。どのような人間としての魅力があるのか。ワクワクしながらページをめくります。

私が感じ取った答えは、ここです。「身体一つあれば成り立つ商売。それが落語だ。--お客さんの想像力があって初めて完成する芸能が落語なのだ。--高座には無限の可能性やドラマが生み出されるのは、仮想空間を皆で補いながら作っている。バーチャルリアリティーの先駆けだ。」着ているものや、持ち物で評価されるのではなく、人間としての価値。好きなものにのめり込んだ幼少期の知識がモノをいう話題の豊富さ。忘れてはいけない思いやりの心。器用な長所を活かし、失敗からでも何かを学び、その次のことを考えて行動する不屈な精神。魅力を感じます。私は努力することに美徳を感じるので、やっぱり違和感はありますが。

 また、家をもたない理由として「私はホームという発想を捨ててみた。快適な環境をベースラインにするのをやめた。最低限の状態で力を発揮することをテーマにしてみたのだ。」人としての価値を高めるため、ストイックに落語家として精進しているのかな。と、思ったり。

 話しはズレますが、ラジオで幼い子供が何かを泣いてせがんでいたら、親が「人が見ているから止めなさい。」と言って買ってあげるのを見て、この子は泣いてせがめば何でも手に入ることを学ぶ。と言っていた。はたしてそれだけなのか。子供が欲しいものを与える。子供が欲しいものは興味を持ったもの。そこから知的好奇心が刺激され、知識を得ること、興味を持ったものに探求していく精神が育つのではないか。そう思います。やっぱり、古い考えなのか、新人類なのか、訳が分かりません。

 興味がありましたら、読んでみてください。

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2021.7.23 すいか